チェコスロバキアの歴史 その十一  市民フォーラムの歴史

市民フォーラム(チェコ語: Občanské fórum、略称:OF)は、チェコスロバキア社会主義共和国におけるビロード革命と呼ばれる民主化運動を主導した勢力によって1989年11月19日に結成された非共産党系政治運動の名称です。一言でいえば、共産党の独裁体制を倒すために、思想の垣根を超えてあらゆる反対勢力が集結した「国民対話のための巨大なプラットフォーム」です。

 この運動の歴史です。1989年11月に発生した学生デモをきっかけとした民主化運動が高まりを見せ始めた中、同月19日に共産党一党支配体制打破と民主化を求める市民や自主的組織が結集して市民フォーラムを結成します。市民フォーラムの主な特徴とは、水平的なネットワークを基本とするゆるやかな連帯で、特定の「政党」ではなく、知識人、芸術家、学生、労働者、宗教者などが集まった「運動」でした。暴力を使わず、対話によって民主化を勝ち取るという非暴力主義を徹底しました。その運営は、組織としての代表は置かず、プラハに設置した調整センターが運動全体をとりまとめることになります。この組織は「愛と真実が、憎しみと嘘に勝利しなければならない」というハヴェルのスローガンのもと、チェコ国内の世論を瞬く間に掌握しました。

 ビロード革命後の12月に発足した国民和解政府に市民フォーラムの中心メンバーの一人がヴァーツラフ・ハヴェルです。市民フォーラムの主要な人物が和解政府の閣僚として入閣し、同年12月にハヴェルは大統領に選出されます。翌1990年6月に行われた連邦議会と地方議会であるチェコ国民評議会の各選挙において市民フォーラムは過半数の議席を得ます。選挙後、連邦レベルではスロバキア地域の姉妹組織である「暴力に反対する公衆」と、チェコ地域ではキリスト教民主党やチェコスロバキア人民党と共に連立政権を発足させるのです。

 連立政権発足後、市民フォーラムの組織政党への転換を求め、自由市場経済を重視したのが連邦政府財務相のヴァーツラフ・クラウス(Václav Klaus)です。彼らの右派グループと、あくまで水平的組織体制を維持すべきとする当時連邦政府外相のイジー・ディーンストビール(Jiří Dienstbier)の中道派グループの間で対立が深まります。ディーンストビールは、共産党政権下でジャーナリストとして活動し、後に「憲章77」のスポークスマンを務めるなど、人権と民主化のために闘った一人です。結局、クラウスらのグループが1991年春に経済的自由主義に立脚した市民民主党を発足させ、ディーンストビールら中道派は市民運動を発足させたことで、市民フォーラムは解散することになります。

 チェコスロバキアの政争は政党の改変へと移ります。1992年総選挙で、市民民主党は第一党となり、その後のチェコ政界における主要政党の一員となります。ヴァーツラフ・クラウスはチェコ首相となります。一方の市民運動は議席獲得に必要な得票率5%を得られず、主要政党の座から転落する結果となり、その後1996年にチェコスロバキア国民社会党に吸収合併されます。ヴァーツラフ・ハヴェルの後、ヴァーツラフ・クラウスが2代目の大統領に選出されます。

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